敗者の産声

陰の者

寂寞



人が死んだっていうどうもこうもないなんちゃってエッセイだから一応注意しておくよ

あと文がいつも通りだらだらしてるくせに陰鬱だからよほどの暇人さん向けだけど読んでくれると嬉しい









一昨日のことになるが祖父が亡くなった。享年88の大往生だ。


2年ほど前から調子を崩しており、最近いよいよ弱ってしまいその時が近いと覚悟はしていたがなんとも唐突な話ではあった。


死因はかねてからの老衰で死に目には立ち会えなかった。しかしそれはもう穏やかに眠ったらしい。今際に僕の名を呼んだと母から聞いた。




因みに一昨日というと僕がABCオフでボードゲームに興じていた頃になる。なんとも爺不幸な話だ。というのも一度危篤にはなったがそれからまた容態が安定して、命日も朝方には落ち着いていたらしい。11時半ごろに容態が急変してそのまま逝ってしまったとのことだ。今際に立ち会った父母から話を聞いてふと「従容として死に着く」なんて言葉が浮かんだ。


爺が亡くなったから明日に帰ってこいとの連絡に気づいたのはオフの二次会まで終えて三次会にのこのこ行こうとしていた時のこと(僕の用事に気を遣って母が連絡を遅らせてくれた)。どうにも現実味が湧かずそれでも知らず知らずにお酒を増していたらしくハヤシさんきゅんさんとほぼ初対面の方3人の前できゅーぽけに入って以来最大の痴態を晒してしまうことになったのだがまた別の機会に喋りたい。





2月9日の昼、新幹線で急ぎ実家に帰り息着く間もなく葬場に向かう。




年末年始と1月半ばの成人式の時、病床に臥す爺の見舞いに向かったが、昔恰幅の良かった体はみるみる痩せ細り、代わりに体のあちこちにむくみが見られるようになった。変わり果てた、と言うのだろうか爺は自分の姿を卑下した。醜い、等とは全く思わなかったが爺の手を握ると実に木の枝のようなという形容の当てはまる細く、弱々しく冷たい腕をしていて愕然としてしまった。




爺に会うのはその時以来となる。体は弱りながらも意識ははっきりとしており、冗談を言えるくらいだった爺が今ではもう喋れもしないとは(爺の苗字は木葉という。それにかけて木葉が枯れ落ちるからなぁなんて言ったものだ。季節といい縁起でもないことになってしまった)。


葬場に着くと親戚の何人かと父母が通夜の準備をしたり談話したりしており、その奥に真っ白な棺が座していた。





棺の窓を開くと、爺が眠っていた。


むくみやら内出血やらで晩年はぼろぼろになっていた肌も綺麗に死化粧が施され、気高くすらある死相だった。合うはずのない目が合ったような気がして、その瞬間どうしようもない現実をようやくはっきりと認識し、自然と涙が零れて止まらなかった。




通夜は粛々と進んだ。通夜振舞いで親戚と精進料理を食べていたが今冬部活のバスケで全国大会まで進んだ妹が誰も彼にも褒められていた。何もないなぁ自分。


めちゃくちゃ脱線するが幼少の頃お世話になった、4つほど離れた従姉妹2人もその場にいた。随分美人になっていた。なかなか昔を思い出せないで、もっと早くに物心つけておけば良かったなぁと思った。片方がみほという名前なのだが昔のようにみほちゃんと呼べばいいかそれともみほさんと呼べばいいか迷った挙句みほたんと考えられる限り一番気持ち悪い呼び方をしかけたのもまた別の話。





翌日、葬式にて爺に弔辞というにはいささか拙いお別れの言葉を送った。生来それらしい言葉を並べるのは得意だが、いざ紙面に書き出そうとすると何を書いてもふわふわとしたなんだか薄っぺらい言の葉に感じられて大層自分のことが嫌になった。結局参列した親戚に褒められるやら傷心の母に消え入りそうな声でお礼を言われるやら格好の整ったものにはなったが思いの丈や感謝を十全に伝えられたとはついぞ思えなかった。



読んでいる皆にはなんとなく察せられているだろうが僕は大のおじいちゃんっ子である。教職でバタバタとしていた父母に代わり小さい頃の面倒を懇ろに見てもらっていた。些細な日常から人生の岐路に至るまで爺にお世話にならなかった時はない。


爺は名家というか、しっかりした一族の長男であったらしい。次男、双子の長女次女、三男の5人兄弟の長であるからなのかそれはまあ立派な人で、穏やかで優しく何より誠実であった。連れ合いの妻(僕の母方の祖母になる)に十数年前に先立たれて、熊本の帯山に一軒家を構え長らく一人暮らしをしていた。自炊から洗濯掃除まで80の半ばまで一人でこなしていたのだから頭の下がる話だ。そんな暮らしであるから、自分で言うのもなんだが孫の僕や妹なんかは少ない中でも大きな生き甲斐だったのだろう。僕がそうだったように爺も僕を愛してくれていた。




火葬場へ向かう霊柩車の前で喪服に身を包んだ母と制服で遺影を抱えた妹が参列者にペコペコと挨拶をしていた。妹は来年から大学生になる。なんとなく、喪服を綺麗に着る人になって欲しいなと冷たい風に吹かれながら思った。


火葬場は葬式の会場から車で15分ほどの霊園のそばにあった。他にも何組か故人の火葬を待っているらしい集団がロビーにいた。一昨日に亡くなったのは爺だけではないと言ってしまえば当たり前の事実に少し救われるような、哀しいような覚えだった。




棺に爺の遺品と花が供えられていった。生前、爺がよく羽織っていた生地の良いジャケットを抱えた時、懐かしい匂いがしたような気がしてまた目を潤ませてしまった。枕元の位置に眼鏡と妹が送った小さなテディベア、先の手向けの手紙をそっとおくと、他の参列者によって棺の中は白基調の花々で綺麗に彩られた。死者が美しく葬られることに関して、この国に生まれて良かったなぁなんて突拍子もないことを思った。あれだ、僕が死ぬ時も素敵に葬って欲しい。



火葬の為、炉の前まで棺を移動させ人の形を保った爺に最後のお別れを言うことになる。そっと「またね」と声をかけた。母は棺に泣き崩れ窓をコンコンと叩いた。爺は妻を亡くしたと先に書いたが、母はその一人娘だ。つまり肉親の両方をこれで失ったことになる。その悲しみの程は慮りきれるものではない。


棺が炉に移動し、葬場の人が稼働の赤いスイッチを押すように一同に促した。まあなんとも残酷な話である。案の定母は動くこともできず爺の弟に託した。彼は一瞬逡巡したが、「さよなら!」と言うとスッとスイッチを押した。炉室に入った時から感じていた臭いがこの時だけ嫌に鼻についた。




火葬には1時間半程度かかるらしく待合室で親戚一同で時間を潰した。近況報告だったり世間話だったり。他愛ない退屈な時間だったが心が落ち着かなかった。


いくらか温和な時間ではあったが、火葬終了まであと10分のアナウンスが入ると空気が引き締まった。




遺骨の前に立つと煤けた匂いと引かない熱が頬を撫でた。母はいよいよ限界といった風だった。骨壺への箸も震えて見ていられない。妹もショックを隠しきれない様子だ。一方、僕や父を始めとした男性陣は厳かであった。不思議なもので、遺骨になった爺を見ても涙が流れることはなかった(遺骨をおじいちゃんだったもの、なんてそれっぽい表現も思い浮かんだが骨だけになってしまっても皮と肉がなくなっただけでその人は僕のおじいちゃんであった)。寧ろどこか愛おしさすら覚えた。


生きていた時の姿を保っていると棺の窓からその顔を見る度に嗚咽を止められなくなったので火葬、これで良かったとその時感じたのはよく考えると変な思考だ。


晩年は足を悪くしたけどリハビリよく頑張っていたなと左足の膝あたりを、いつの間にか大きかった背中が小さく見えて物悲しかったなと肩甲骨を、そして穏やかに微笑んだ顔を思い起こして頭骨を骨壺に収めた。喉仏が焼けてしまっていた代わりに顎の骨が綺麗に残っていたこと、頭の側にレンズが焼け落ちフレームだけになった眼鏡がぽつんと残っていたことが印象的だった。




葬式の際に略式的に初七日まで終わらせ、精進揚げとして寿司を頂いたが驚くほどに美味しくなかった。味が悪いのではなく、ただただ美味しくないのだ。そして喉を通らない。なにか訳の分からない塊を食べている気分だった。今度、安くて美味しい寿司を誰かと食べに行こう。




爺の生家に骨壺を移す間それの入った箱を抱えていたが、存外に重かった。小さい頃は僕を背中に負ぶった爺が今ではこんなサイズの箱に収まってしまっている。それでもその箱はずっしりとしており形容し難い感傷に浸った。


爺の生家に簡易的ではあるが祭壇を設けると奥の仏壇に飾ってある祖母と目があった。20年弱、一人で頑張ってきた爺が漸く彼の世で祖母と再会したのだろう。


どうか安らかに、そして見守っていて欲しい。今までありがとう。




実家に帰りさすがに何か食べるものを作る気力はなかったので父と買い出しにでた。ふと、母は血の繋がった肉親2人を亡くしてしまったんだなと僕が漏らした。父はどこかをじっと見つめた後にそうだな。あとはお前と妹だけだと返した。


僕と妹に、母と爺の血が残っているのが考えてみれば当たり前ではあるが眼から鱗であった。珍しく気の利く父だ。くれぐれも末代になって血を絶やす真似をしたくないなと吹き出してしまった。いや笑い話じゃないが。




日本酒を一緒に飲んだ父は目の前で机に突っ伏している。母は自室でいつの間にか眠ってしまっていた。体以上に精神を摩耗した数日であっただろう。妹はと言うと机の対岸でTikTokだかなんだかを憚らず流している。イヤホンしろ。


大切な人を喪失する経験は哀惜に堪えないながらも貴重な経験であり、この2日間の心の揺れ動き、機微を風化させたくないと文をしたためたがおよそ場所は相応しくない気もする(こう言う文を書けるところがここしかない)。冗長な文だと自覚しているが何かの拍子にここまで読んでくれた人には本当に感謝だ。別に身内を亡くした僕を慮ってくれみたいなのは微塵もなくいつも通りに接してくれるとありがたい。推敲していて、鼻にかけた文章が既に恥ずかしくなってるからそのうち消すかも知れない。


繰り返しになるがここまで読んでくれて本当にありがとう(そういえば弔辞で繰り返し、なんて忌み言葉を使っていなかったか不安になる)。



それでは。